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【第170回定期】保科洋が語る、作曲家・兼田敏の肖像

2025/09/04
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9月28日に開催される東京佼成ウインドオーケストラ第170回定期演奏会。常任指揮者・大井剛史のタクトのもと、前半は日本吹奏楽界のレジェンド、兼田敏(1935-2002)の生誕90年を記念した特集プログラムをお届けします。

保科氏と大井

この演奏会を前に、大井剛史は、兼田敏の生涯にわたる友人であった作曲家・保科洋のもとを訪ねました。東京藝術大学の同級生として出会い、時に四畳半一間で共に暮らし、卒業後も互いの創作活動を最も身近で見てきた保科氏。その口から語られる兼田敏の人物像は、驚きと発見、そして深い友情に満ちていました。ときに笑いを交えながら、思い出の扉がゆっくりと開かれていきます。


四畳半から始まった「兄弟以上」の関係

大井
保科先生が兼田先生と初めてお会いになったのは、東京藝術大学(芸大)に入学された時ですか?
保科
そうですね、入ったときです。彼は京都出身で、芸大で初めて出会いました。有名な話でご存じかもしれませんが、4月に入学してすぐの5月、池袋にあった彼の下宿先へ作曲科の連中と遊びに行ったんです。彼もお金がないからどっかの大学生と部屋をシェアしていて、はじめはその同室の人も遠慮して席を外していたんですけど、我々が長居しちゃったせいで怒り出してしまった。それで喧嘩になって、兼田が家を飛び出してしまったんですよ。まだ5月ですから、当然行くあてなんてないし、次の日大学へ来て「誰か引き取ってくれないか」と。それで、四畳半ぐらいの僕の部屋があったので「よかったら、うち来いよ」って言ったら、もうその日に来ちゃったんですよ。そこから1年間、その四畳半の部屋に2人で住んでいました。
大井
ご実家から通われていたんですよね。先生のご家族も寛大でしたね。
保科
うちの親は下町の人で、そういうことを気にしないんです。ただね、面白い話があって。兼田は極端な甘いもの嫌い。うちはみんな甘いものが大好きで、彼が来るからとおはぎを山のように作って出したんですよ。そしたら、全然食べない。遠慮していると思ったおふくろがどんどん勧めるもんだから、彼も仕方なく1個か2個食べてたけど、「あんなに辛いことはなかった」と後で言っていましたよ。
大井
味の好みの違いは大変ですよね。
保科
それから、次の日の朝食で味噌汁が出たんですけど、京都出身の彼は薄味好みで、うちは職人の家だから結構塩辛い。最初飲んだときは「塩、入れ間違えたんじゃないか」と思ったらしいですが、みんな平気な顔で飲んでいるもんだから「これを1年間飲まされるのか」と悩んだそうですよ。結局、1年経つ頃にはすっかり慣れて、「こっちの方がうまくなった」と言っていましたけどね。そんなこともあって、彼と僕っていうのは、なんだか兄弟以上の関係なんです。
保科氏

十二音技法の時代と、ガーシュウィンへの傾倒

大井
兼田先生は学生時代から、才能が突出していたのですか。
保科
彼は1年の時からすごかった。高校時代から色々曲を作っていたみたいで、それをピアノで弾いて聞かせてくれるんだけど、我々からしたら「なんだ、このすごい奴は」という感じ。
大井
当時の芸大作曲科は、無調や十二音技法といった前衛的な音楽を書かなければ人間じゃない、というような雰囲気の時代に差し掛かる頃ですよね。
保科
僕らの時代もそうでしたよ。十二音音楽の全盛時代。僕も時流に乗って書きましたけど、どうしてもしっくりこない。機械的にできちゃうんですよ。だから自分の曲って気がしなくて。特に、ちょっと後に出てくるジョン・ケージのような現代曲の流れにはついていけませんでした。
大井
兼田先生は、そういう十二音技法などに対してはどうだったんでしょうか。
保科
彼も十二音で書いた曲はあります。だけど、彼は元々ものすごい"調性男"なんですよ。「ファがシャープになるだけでも現代音楽に感じる」っていうくらい、調性感にこだわっている人でした。だから、彼も僕と同じように、当時のクラシック音楽界の風潮に対しては、ちょっと嫌気がさしていたんじゃないかな。それで二人して吹奏楽の方へ向かっていったという面もあります。僕もウェーベルンやベルクなんかはあの頃随分勉強もしたし、参考にもしていたけど、やっぱりどうしても完全に無調という方向の音楽には馴染めなかったです。それは、兼田も一緒でしたよ。そういう意味で彼とは結構意気投合してましたね。
大井
兼田先生が学生時代に特に影響を受けていた作曲家は誰なんでしょうね。
保科
彼が学生時代によく話題にしていたのは、ガーシュウィンです。
保科氏
大井
ガーシュウィン?
保科
信じられないでしょ。彼はガーシュウィンのジャズ風のハーモニーがめちゃくちゃ好きで、夢中になっていましたよ。当時の前衛的な風潮から言えば正反対の世界です。でも、僕も彼の方向性はそっちだったんじゃないかなと思うんですよ。
大井
今僕の頭に浮かんだのは、保科先生と兼田先生が携わっていたヤマハのYBSシリーズ。あれにポップス系のアレンジもありましたよね。ガーシュウィンといわれて「ああ、なるほどな」と思いました。
保科氏

「ちきしょう、やりやがったな」―― パッサカリアに見た反骨精神

大井
先生からご覧になって「これが兼田作品の極致だな」と最も感心された曲はどれになりますか。
大井
どのあたりに衝撃を受けられたのでしょうか。
保科
同じ作曲家として、技術と発想に「ちきしょう!」っていう感じですね。この曲、テーマを12の全て異なる音で書いてあるんですが、全然十二音の音楽には聴こえない。ものすごく調性的なんです。彼は本来、十二音の音楽には背を向けていた男です。だからこそ十二音技法へのアンチテーゼとして、あえてその技法を使って「12音でもこういう音楽が書けるんだぞ」と、作曲家としての挑戦でもあったと思います。音楽の良さというよりも、まず作曲家としての発想力とか技術的な挑戦とか、そういうのに作曲家仲間として「ちきしょう、やりやがったな」と感じましたね。それでいて、こんなにも素晴らしい音楽ができる。この曲はすごいですよ。
大井
学生時代の周りの風潮に対する答えを示したのかも。なにか兼田先生の反骨精神みたいなものを感じますね。
保科
そうそう。彼の才能豊かな部分が凝縮された、実にあいつらしい作品だと思います。
大井
曲の後半に出てくる、少しおどけたような部分も印象的です。
保科
あの♪タラッタラッタラ♪ってところね。あれなんかは、この曲の中で一番兼田らしいなと思います。変奏曲ってのは、次のヴァリエーションをどうするかってのを考えるとき、そのときの精神状態みたいなのが影響するんですよ。この部分は、すごくおちゃらけていて、本当は言いたいことがあるんだけど、それを照れくさそうに出してくる。ああいうのをみると、本当に「ああ、あいつらしいな」と感じますね。

ひねくれ者で、照れ屋で、そして誰より優しい

保科
彼はね、自己主張が強いタイプなんだけど、ものすごく照れ屋だから、なんかちょっとひねってくるんですよ。これは裏話ですけどね、誰か周りに人がいるとき、彼は必ず僕に喧嘩をふっかけてくるんですよ。漫才のボケとツッコミみたいにね。僕がボケで彼がツッコミ。昔、彼と僕がお互いの曲をお互いが振るっていう演奏会があったんですけど、幕間に2人で対談した時も、ステージ上で僕のことをめちゃくちゃにこき下ろすわけです。そしたら、聞きに来ていた学生たちに「兼田先生嫌い!」なんて言われたりしてて。兼田は、「お前のせいで嫌われたじゃないか」とかなんとか言ってましたよ。でも、そんな彼だけど、僕が彼の家に泊まるときには、朝起きると食事を用意してくれていて、歯ブラシとタオルがきちんと置いてあって、うちの女房以上に色々やってくれるんですよ。だから、僕は人の前で何を言われても全然気にしない。彼の本心はそうじゃないって、わかってるから。そういう彼の複雑な人間性が、もしかしたら作品にも表れているんじゃないかなと思いますね。

四畳半の共同生活から始まり、時にライバルとして切磋琢磨し、そして誰よりも互いを理解する親友として続いた二人の関係。保科氏が語る数々のエピソードは、兼田敏という音楽家の、一筋縄ではいかない人間的な魅力を鮮やかに浮かび上がらせてくれます。
9月28日の第170回定期演奏会では、大井剛史と東京佼成ウインドオーケストラが描き出す兼田敏の音楽の向こうに、保科氏が語ってくれた一人の音楽家の「肖像」が立ち現れるはずです。どうぞご期待ください。

第170回定期演奏会

第170回定期演奏会

兼田敏生誕90年記念&マスランカ・チクルスVol.3
日時2025年9月28日(日)
開演14:00(開場13:00)
場所東京芸術劇場 コンサートホール
指揮大井剛史(常任指揮者)
曲目30周年記念ファンファーレ [1990年委嘱作品]/兼田 敏
シンフォニックバンドのためのパッサカリア/兼田 敏
ロンド・マーチ/兼田 敏
機関車ちゅうちゅう/兼田 敏
ウィンド・オーケストラのためのシンフォニック・ヴァリエーション [1977年委嘱作品]/兼田 敏
吹奏楽のためのバラードIV [1997年委嘱作品]/兼田 敏
交響曲第5番/D.マスランカ
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