2025年6月25日(水)開催「第169回定期演奏会」では、モーツァルトが現代吹奏楽にも大きな影響を与えたハルモニームジークの傑作《グラン・パルティータ》を取り上げます。「大組曲」(=グラン・パルティータ)と呼ばれ、本公演の指揮者トーマス・ザンデルリンク(特別客演指揮者)氏が以前から取り組みたい曲として挙げていた本曲が、何ゆえに名曲として語られるのか。中橋愛生(楽芸員)によるコラムでご紹介いたします!
「神童」と讃えられた天才モーツァルト(1756-1791)。その代表作を1つだけ挙げてください、と言われたら多くの人は戸惑うのではないでしょうか。35歳という若さで早逝するまでに残した曲はおよそ900曲以上とも言われています。番号が付いているだけでも41曲ある交響曲?「トルコ行進曲」も含まれるピアノ・ソナタ?誰もが知っている「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」?「魔笛」などのオペラ?死の床で書き進められた「レクイエム」?どれもこれも、魅力的。とても1曲に絞れるものではありません!
...なのですが、「吹奏楽にとって一番重要なモーツァルトの曲は?」と聞かれたら、こう答えるしかないでしょう。『セレナード第10番《グラン・パルティータ》』と。
「ハルモニームジーク」というものをご存知でしょうか。古典派の時代に流行した音楽形態で、主に貴族の晩餐会でのBGM演奏(食卓音楽 = ターフェルムジーク)を担当していた管楽合奏団です。晩餐会は室内で行われることが多かったのですが、しばしば野外で行われることもあり、その際は弦楽器では不向き、ということで、管楽合奏団が野外音楽(フェルトムジーク)を奏でていました。編成はオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンを2本ずつ、という八重奏が基本で、時代や地域によってはクラリネットを含まない六重奏をとっていたこともありました。いずれにせよ、管楽器による合奏体であり、同じ楽器を2本1組で運用する、というのが大きな特徴でした。このハルモニームジークは、現代の吹奏楽のルーツの一つとして扱われることも多くあります。
当時、安定したピッチで大きな音が出せる低音の楽器が非常に少なかったため、いくつかの楽器を補強的に重ねて演奏することが多くありました。そこでよく用いられたのが弦楽器のコントラバスです。これが、現代の吹奏楽編成にコントラバスが唯一の弦楽器として含まれている由縁です。
ハルモニームジークのレパートリーの多くは、当時人気だったオペラのアリアや序曲を編曲したものでした。これは、貴族の娯楽がオペラだったため、食事のBGMにふさわしいもの、として演奏されていたからです。気軽に聞き流せつつ、「あ、私この曲知ってる!」などとちょっとした話題作りになる曲が食事中は好まれるのは、今も昔も変わりませんね。その編曲、モーツァルトの残した手紙や、ベートーヴェンの交響曲のハルモニームジーク編曲版(!)を参照すると、第三者が勝手に編曲してしまったり(著作権無視!)、調を変えた上にズタボロにカットされてたりすることもあったり、と、この辺りも、なんだか現代の吹奏楽で聞いたことがあるような...
ともかく、貴族の間で流行していたハルモニームジークですが、編曲ものばかりではありません。最初からハルモニームジークのために作曲された、いわゆる「オリジナル作品」もありました。ハイドンやC.P.E.バッハなど、様々な作曲家がかなりの数のハルモニームジーク作品を残しています(多くの音楽辞典で「吹奏楽曲」として記載されているので探してみるのも面白いでしょう)。それらの多くが「ディヴェルティメント」または「セレナード」というタイトルが付けられています。この両者は、音楽的傾向はほぼ同じと言ってよく、多楽章形式で、いずれの楽章も短めで明るい曲調(テンポや拍子は様々)であるのが特徴です。理由は単純、「BGMだから」。食事中に重苦しい曲は聞きたくないですよね。ランチ用がディベルティメント、ディナー用がセレナード、と考えていいでしょう。世界で一番有名な食卓音楽はモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1つの小さな夜の音楽 = 小夜曲 = セレナーデ)だと思いますが、あんな感じの曲、と言われれば分かりやすいかもしれません。
そう、モーツァルトもたくさんの食卓音楽を作っていて、その中にはハルモニームジーク作品も十数曲あります(偽作の疑いがある曲もあって正確な数は不明です)。その中で異彩を放っているのが、今回の演奏曲《グラン・パルティータ》なのです。
この曲、直筆譜の成分や筆跡を鑑定(!)した結果、おそらく1783年から1784年の作であると推測されているのですが、一体なぜ、なんのために作られたのか、詳しいことは分かっていません。元々は八重奏として作られた「パルティア」(組曲)という曲に楽章を追加しつつ編成を大きくしたものであることが判明していますが、改訂した理由は不明です。それにしても、ハルモニームジークとしては色んな意味で大規模な異色作です。
編成は12本の管楽器と1挺のコントラバス。このコントラバスはコントラファゴットで演奏してもよいことになっており、実際にそう演奏されることもあるため「13管楽器のセレナード」という別名でも呼ばれています。しかし、モーツァルトは最初から明確にコントラバスを指定しています。管楽器は2本1組で運用する、という点では伝統的なハルモニームジークのスタイルを踏襲していますが、倍近い人数が用いられているのは、やはり他に類をみません。バセット・ホルンが2本用いられていて、今回の演奏でも使用されるので注目です。
全7楽章、全曲あわせて演奏時間は約50分という規模の大きさもまた破格で、「大組曲」という副題は第三者が付けたものではあれど、その風格を物語っています。セレナードなので全ての楽章が長調ではありますが、第1楽章が序奏付きのソナタ形式、最終楽章がアレグロのロンド形式、というのは、もはや交響曲クラス。そして、なんと言っても有名なのは第3楽章「アダージョ」。モーツァルトの伝記映画「アマデウス」(1984)でライバルである主人公サリエリが初めてモーツァルトの作品に出会ってその才能に驚愕するシーンで用いられたことでも知られています。モーツァルトを代表する1曲(の1つ)、という評価が正当であることがお分かりいただけるでしょう。
さて、このような曲が登場すると、その後もハルモニームジークは発展を遂げそうなものですが、残念ながら急激に衰退していき、現代ではあまり聞き慣れない名前の分野にまでなってしまいます。それは、1789年のフランス革命から広がっていった貴族社会の崩壊によるものです。貴族の貴族による貴族のための娯楽音楽であったハルモニームジークの楽団は、衰えた貴族が維持できなくなり、晩餐会で用いられることも少なくなり、結果として新作が生まれることも無くなっていきます。作曲家も、依頼されなければ曲を作ることはほぼ無いのです。
しかし、この《グラン・パルティータ》は、そのあまりの存在感からか、しばしば後世の作曲家の作品のモデルとなっています。
リヒャルト・シュトラウスの「13管楽器のためのセレナード」は作曲家としての、「13管楽器のための組曲」は指揮者としてのデビュー曲で、それは編成やタイトルからして《グラン・パルティータ》の影響下にあることは明らかです。これはホルン奏者であった父の影響もあって作ったものでしょう。そして、リヒャルトは最晩年に2曲の「16管楽器のためのソナチネ」という拡大ハルモニームジークのための曲を作ったのですが、その第1番はモーツァルトの霊に捧げられています。「最初と最期」にしか作らなかった理由は何だったのでしょうか...?
ドヴォルザークの「セレナード ニ短調」は、通称「管楽セレナード」と呼ばれる曲で、11本の管楽器と、1挺ずつのチェロとコントラバスの13奏者のために作られています。これは、ウィーンで《グラン・パルティータ》を聴いて感銘を受けたドヴォルザークが、翌年に作曲個展を開く際に「グラン・パルティータのチェコ版を」との意気込みで作った意欲作です。
12音技法を抒情的に扱ったことで知られる作曲家ベルクは、師であるシェーンベルクの50歳を祝して「ヴァイオリン、ピアノと13管楽器のための室内協奏曲」を作っています。ベルクは特にモーツァルトの影響について言及していませんが、無調の響きを伝統的な枠に載せる新ウィーン楽派の傾向的に、古典派の金字塔に依ってヴァイオリンとピアノと相対させるにふさわしいものとして管楽合奏を当てたのではないでしょうか。
武満徹も「13管楽器のための室内協奏曲」という作品を作っています。これは武満が作曲家として発表した2番目の作品で、「実験工房」という総合芸術集団の自主公演で発表するべく作られたものです。スコアには、楽器名や用語はフランス語で記されているにも関わらず、新ウィーン楽派が用いる記号が見られます。当時ベルクに傾倒していた武満が、ベルクの同名の「室内協奏曲」に触発されたであろうことは想像に難くありません。ということは、間接的にモーツァルトの影響下にあると言えなくもないのです。
このように、数名の大作曲家が《グラン・パルティータ》の延長線上に新たな作品を生み出しています。いわば、モーツァルトからバトンを受け継いだ、とも言えるでしょう。面白いのは、こうした派生と言える作品の数々は作曲家が依頼作曲ではなく「自主的」に書いたものだ、という事実です。なかなか自発的に編成を選ぶ、という機会が少ない作曲の世界において、作曲家がわざわざ選んだのが「もはや新作が生まれなくなった分野の最大編成」である、という事実が、まるで「パンドラの箱に残された希望」であるように感じられるのは私だけでしょうか。
かつての流行にも関わらず歴史から失われたハルモニームジーク。その頂点に位置した《グラン・パルティータ》は、これからも輝き続け、新しい作品を生み出す触媒として機能するのかもしれません。そんな「古典から継がれてきた未来へのバトン」に会いに来てみませんか?
中橋愛生(楽芸員)
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